過去ブログ最長の文でグルメではありませんがご清聴よろしくお願いします。
昨日の”運のいい人になるには”に続いて、今日は”目標を早く達成するには”についてです。
たまに読ませてもらう、とある経営者の著に目標を早く達成するコツがあり、その中に次のような部分がありました。
その箇所をそのまま。
誰しもが目標を出来るだけ努力せずに達成したいはず。
しかし世の中にはスピーディーに目標を達成できる人といつまでたっても目標を達成できない人がいます。
この違いはなんでしょうか?
僕はジェームススキナーやスティーブン・R・コヴィーの考えが好きでこの人達の本をかなり読むのですが、
成功するために必要なノウハウとしてこの人達が言ってる事が何点かあります。
その中の1つが、
メンター(師匠)を持ちなさい。
そしてそれをモデリングしなさい。
という事。
モデリングとはマネする事。
どういう事かというと、師匠を設定して師匠のやっている事をとことんマネしなさい。ということ。
僕もこの事をとにかく徹底しています。
何か新しい事、特にノウハウがしっかり出来ていない事柄についてはコンサルタント等の話を丸々、そして徹底的に行います。
そうすると当然のごとく結果がついてくる訳です。
では何故ほとんどの人が目標を達成することが出来ないのか・・・?
それはマネすることが出来ていないからなのです。
成功するには本当に緻密にマネをしなくてはなりません。
服ですらボタンを1つ間違えると正しく着ることはできませんよね。
物事には手順があります。
成功するためにはその手順やコツをとことんマネをする必要があるのです。
成功出来ていない人は必ず次のように言い訳をします。
「同じようにやってるんですけどねぇ。」
同じようにやっていたら必ず成功するはずですよね?
だって、成功してる方法なんだから。
ほとんどの人がマネ出来ない理由は3つの理由があります。
1つ目・・・面倒くさい
2つ目・・・慣れるとともに手を抜く
3つ目・・・結果が出る前に見切りをつける
これらがその理由です。僕も書いていて、よくあるな・・・と自分にも当てはまることを実感しています。
これは忙しい現代社会の中では当たり前の事。
仕事をしていれば様々な作業があり、なかなかそれらのことを”完璧”にマネをするなんてことは時間と労力がかかり出来ません。
こういう忙しい中でマネし続けなければならないので徹底的にマネをする事は本当に難しいのです。
しかし、成功するためには、この面倒くさく感じたり、結果が出るまで我慢してやり続ける事は非常に重要なポイントなんです。
だから僕も、こういった想いになったときは自分に言い聞かせてやり続けるのです。
するとある時点からどんどん結果が出てくるようになります。
それとは反対に同時期に同じことに取り組んだ仲間たちは、
自分のやりたい方向、やりやすい方向にシフトしていき全く結果が出ずにぐちを言いあってるのです。
情報は同じだけど、どのようにやるか、そしてやり続ける事が出来るかどうかが目標を達成できるかどうかを分けてしまうのですね。
師匠の型をしっかりマネをし体得する事が目標達成の最短の道。
そして労力も最小限に抑える方法なのです。
型破りとは型が出来ていて初めて言われます。
型が無いうちに自分のやりたい事をやる人は形無しと言われます。
なんてシャレてるんでしょうね。
まさにこの通りだと思います。
ぜひ、あなたもメンターを決めて必死でマネをしてみて下さい。
と著者は締めくくってました。
私がテニスを指導させてもらいだしたのが、部活の雑用がなくなりある程度時間の余裕ができだした大学3年次でした。当時の岩田屋テニススクールには元ブライトテニスセンターヘッドコーチの中野生也さんがいらして私はアシスタントコーチを務めさせてもらいながら、1時間30分生徒の方が心から楽しめるレッスンを目の当たりにしてました。今でも勝手ながら師匠(メンター)だと思ってます。
また、プロコーチの免許を取得するための静岡合宿では1週間、静岡の「高瀬テニスプランニング」の高瀬コーチに講習していただきましたが、
その丁寧で的を得た指導には、いつかは自分も「坂村テニスプランニング」を立ち上げたいという明確な目標を持つことが出来ました。
その後、松岡修造さん主催の修造トップジュニア合宿にアシスタントコーチとして参加した際には、世界1位を数人育てあげたボブ・ブレッドコーチの基礎を重んじるアドバイスと、ジュニアに対する情熱に魅せられ、12年経った今でも自分なりに活かすことができてると思ってます。
私には師匠と思える方が運よくたくさんいて、そんな先人から見るとまだまだ未熟者の私ですが、今度は一人でも若いコーチが自分を目標と思ってくれるように明日からまた日々精進です。
ご清聴ありがとうございました。坂村テニスプランニングではなく、さかむら庭球塾の坂村でした。