先週デイリースポーツの記事です。
”台湾で輝いた元ヤクルト・鎌田さんに報いる引退式「感謝の気持ちでいっぱい」”
ヤクルト、楽天に11年間在籍したあと台湾プロ野球の統一ライオンズに移り、わずか1年ながら華々しく活躍した鎌田祐哉さんに対して、統一球団が引退セレモニーを実施することを決め、その温情に鎌田さんが感動している。
鎌田さんは早大のエースだった2000年のドラフト2位でヤクルト入団、03年にはローテーション入りを果たして6勝を挙げたが、以降は振るわず、10年には楽天へ移籍した。
しかしここも鎌田さんにとって新天地とはならず、1勝も挙げることなく翌11年末に戦力外通告を受けた。
ハローワークに通ったが、いい仕事は見つからなかった。野球への思いを断ちがたかった鎌田さんは、台湾・統一球団のテストを受けた。
元日本ハム打撃コーチの中島輝士さんが監督、元楽天投手コーチの紀藤真琴さんが投手コーチを務めてるのが縁だった。
テストに合格した。再び野球ができることに。しかし条件は厳しかった。契約は2ヵ月更新、2軍降格は即解雇、負傷で出場できなくなっても解雇・・・。通訳は付かず、チームメイトと意思疎通はできず、ユニフォームの洗濯も自分で。そもそも、配られたユニフォームの名前が「鎌田哉祐」と間違っていた。
そして開幕を迎える。3月18日の初登板で、勝ち投手となった。
公式ブログでは「まずは1勝できて良かったと思います。」などと短くつづった。
その記述が段々長くなる。勝って、勝って前期優勝。優勝決定の日、鎌田さんは開幕から負けなしの11勝目を記録した。
台湾の球宴には、日本人では初めて、ファン投票で選出された。鎌田さんは「時の人」だった。
後半戦は5勝しか挙げられなかったが、通算16勝で最多勝利のタイトルを獲得、ベストナインとゴールデングラブ賞にも輝いた。
しかし、その後半戦から台湾シリーズへと続く不調が厳しく評価された。
シリーズを終えて帰国後の11月27日のブログで報告した。
「昨日台湾から来季は契約しないとの連絡がありました・・・やはり厳しい世界ですね。それでも厳しい環境で頑張れたこと、3つのタイトルを取れたこと、台湾での仲間ができたこと、どれも素晴らしい経験・財産です。台湾のみんな本当にありがとう!」。
楽天から戦力外通告された時点であきらめていれば、こんな経験はできなかった。契約延長はならなかったが、吹っ切ることはできるそのつもりだったが、最終ゲームが終わって乗ったバスでチームメイトたちが「来年も一緒にプレーしようよ」と言ってくれた言葉だけが重く心に残っていた。
日本へ戻ってからも現役への道を模索したようだが、結局あきらめて今年3月27日、ブログで引退決意をはっきりさせた。
4月からは不動産会社に勤め始め、ブログを続けるかどうか迷った。しかし、「野球選手が引退後どうしているのか、あの選手は今どうしているのだろう。僕自身も現役のときから気になっていたことを、僕はブログを通して発信していこうと思いました」と記述はなおも続く。
それまでの野球中心の内容とは打って変わり、一戸建て住宅の販売現地でお客さんを案内する様子などが書き込まれるようになった。
慣れないサラリーマン生活に苦労しながら頑張る様子が、それまでよりは間遠になりながら、確かな筆圧で読み取れた。
そして7月8日、弾むような文章の書き込みが。
「今週末に台湾で引退セレモニーをしていただけることになりました。こんな自分が引退セレモニーなんて感謝の気持ちでいっぱいです。台湾統一ライオンズ球団の方々、本当にありがとうございます。人生最後のプロとしてのユニフォーム、心に刻んできたいと思います!」
この14日、台湾統一ライオンズの本拠地、台南市の球場で鎌田さんの引退セレモニーが行われる。ユニフォームの背中に書かれた名前にもう間違いはない。 続く・・・・・